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「あとは何とかする」地元出版社を救った言葉 カープを伝えるために三村敏之が見せた男気

広島カープ25年振りのリーグ制覇。そこにあった知られざるサイドストーリー。

■黒田・新井で立たされた窮地を黒田・新井で取り戻す

「シーズンオフにある大物OBの対談の取材をしたいため、東京ドームに行く必要があったのですが、旅費がネックになるため、取材自体をためらっていた。すると三村さんが『往復の飛行機代だけ出せ、あとは何とかする』と言うのです。そして実際に、現地での食事や移動はすべて面倒を見てくれました」

 宿泊は三村と同部屋。ときには三村が所属するマスターズリーグのチームバスに同乗させてもらい、移動をしたこともあった。
 三村が出場するマスターズリーグの時期が近づくと、三戸は練習パートナーを務めていた。キャッチボール相手、打撃練習のパートナー、仕事の時間の合間に手を貸していた。三戸にとっては広島商業高校のOBであり、仕事における恩人でもあるから、手伝いをするくらいのことは当然だと考えていた。

「けれど、いま思うと義理人情に厚い三村さんが、今度は我々のためにと救いの手を差し伸べてくれたのかもしれません」(三戸氏)

「蜘蛛の糸」。三村氏が好んで口にしていた言葉である。広島アスリートマガジンは、雲の上の人からたらされた「蜘蛛の糸」をのぼりはじめようとしていたのだった。

 こうして三戸率いる・サンフィールド社が発行する『広島アスリートマガジン』は三村敏之を顧問とし、日々充実した誌面を発行することに腐心した。
 丁寧な取材の積み重ねとグラビアの充実。営業面で苦労しても、この2本柱には手間も費用も投入してきた。
 原稿へのこだわりも強かった。今や158回の連載を迎える筆者にも、「より深く、マニアックでも良いので、他にない原稿が欲しい」とのリクエストが飛んだことがあったし、幅広い意見を求め、広島県外であってもプロ野球評論家の声を集められる体制も整えてきた。

 そんな編集部の最大のピンチは2007年だった。創刊以来何度も表紙を飾り、インタビューでたびたび登場した「広島の顔」、黒田博樹と新井貴浩が同時にチームを離れることになった。新井貴浩は、創刊号の表紙をつとめるほどの存在だった。
 それでも、「三村ー三戸」体制のもと、編集部員が必死に取材を続け、我慢の時代を乗り越える。そしてその時間は徐々に好転していく。前田健太の台頭、菊池涼介・丸佳浩のキクマルコンビ、神ってる男・鈴木誠也など、ニュースターたちも誕生。なんといっても2016年6月号の新井2000安打特集号、9月号では黒田・新井コンビの表紙で圧倒的な売れ行きとなった。

 2016年9月10日、カープはついに25年ぶり7度目の優勝を果たした。優勝特別増刊号の発売がSNSで告げられると、半日で想像を越える予約が入った。書店からの問い合わせも激増した。そんな忙しさと喜びの中でも、三戸は「初心」を忘れない。
「最新の情報、これまでの積み上げ、選手の真剣な表情を伝えること」

 これは「三村イズム」でもある。
 緒方監督は就任会見で「三村監督の野球が理想」と語った。三村イズムを受け継ぎセ界制覇を果たしたカープだが、その三村イズムはグラウンドだけではないところでも花開いていた。(了)

※写真1:創刊号。若き新井貴浩が表紙を飾った。
※写真2:
故・三村氏。その笑顔とは裏腹に厳しい顔も持ちあわせた。
 

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